2024年10月30日
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法輪功創始者発表『人類はなぜ迷いの社会なのか』

『人類はなぜ迷いの社会なのか』

 

 天体は、神々や王、主もその外を知らないほど巨大であり、生命は数え切れないほど多いのです。しかし、天体にいるすべての生命は、自分の物質で構成された自分自身の次元では全方位的に自身が置かれた世界を見ており、神が世界を見る方式と同じで、ただ智慧と神の能力を備えていないだけです。つまり、天体宇宙にいる生命は人類の状態と違っており、人類は自ら置かれている世界の真相、置かれている環境にいる他の形の生命の存在、置かれている環境の物質の真実の体現を見ることができません。ですから、人間の思考方式、世界を認識する方式は独特で能力がないのです。これがすなわち「迷い」の社会ということです(元々、三界内にいる神仙と修煉界の個別的な現象を除く)。

 なぜこのようになったのでしょうか? 天体と天体内にある数多くの宇宙の体系はいずれも成、住、壊、滅の摂理にしたがって「滅」という最終段階まで進んだからです。恐ろしい最後の滅の時に解体される中、すべてが尽きるところまで滅され、存在しなくなるため、創世主は衆生を救い済度することを決意したのです。

 天体と宇宙が滅まで至ったのは、天体と天体内のあまたの宇宙とその中の無数の衆生、各宇宙にいる主、王、神々を含めて、成、住、壊、滅という長い過程で、初期の頃と比べて堕落してしまったからです。つまり、長い歳月の中で自身がいる次元の基準からずれてしまったということです。これは生命の過程の中での必然的な摂理です。

 創世主は衆生を救うため、天体の外に一つの世界を創り、それを使って天体内の無量の衆生を救い済度するのです。その名を「三界」と言います。三界には生命が存在する三つの次元があります。最低層にいる生命は何の能力も智慧もなく、迷いに満ちた最も苦しい環境で生きています。これはつまり人類社会です。しかし、第二層にいる人間と衆生は、その智慧が人類のこの次元より高いだけで、人類と自身がいる境地の状況しか見えません。人類には天上の人と呼ばれています。その上の高い次元にいる生命は下にある二つの次元の生命が置かれている状況と自身のいる境地の状況を知ることができ、智慧も三界の中では最も高いので、人類に天人と総称されています。しかし、三界にいる衆生の誰もが本当の宇宙と天神がいる天国の世界を見ることができません。

 ですから人類は、最も智慧の小さくて物事の本質を知ることのできない「迷いの中」で生きています。これは末後、滅し尽くされる前に衆生が救われるようにするために創世主が成し遂げた壮挙であり、衆生が無明(むみょう)の苦しい世で人間性の善にたよって乗り越えるようにするためでもあります。難しいのですが、成、住、壊、滅の最後に、滅されるはずの生命は苦を舐め業を滅する中で乗り越えるしかなく、同時に、善良な本性を守りぬいてはじめて「未来」に認められるのです。末後に至ったとき、創世主は天体にいるあまたの神、王、主と天体の一部を司るさらに巨大で大きな神と大覚者が、世に降りて人間になることを認めたのです。彼らが持っている智慧と能力を封じ、最も苦しくて能力も智慧もない完全に密閉された人体の中で苦を舐め業を滅し、苦しみの中で正念を頼りに善良な本性を守り抜いてはじめて神々と創世主に相手にされ、未来に認められるのです。人類社会で繰り返し転生し、徐々に罪業を消し、善徳が積まれる人は救い済度の中で必ず選ばれ、末後の最後に救い済度が始まったとき、必ず創世主の救いによって新しい宇宙に済度されるのです。つまり、人類社会の「迷い」という存在方式は、創世主が衆生を救うために切り拓いた特殊な社会と生命の存在方式なのです。ですから、人間は迷いの中で、迷いを破るようにと誰に頼んでも意味はありません。天から地までいかなる生命も衆生を救い済度するこの環境を破壊する度胸はないのです。

 この世で神を信じることはいつも迷信だと言われています。ですから、見えたら信じ、見えなかったら信じないと言う人がいます。それによって結果を考えずに悪事を働く人がいます。次元がいくら高くても神が人間に生まれ変わり、人体を持つようになったら人間になり、人体に入ったら迷いに入ったことになるのです。ですから、迷いの中で業を造る人がいます。創世主が三界を造ったのは衆生が苦しみの中で罪業を消し、自身の道徳心を高めることを根本的な目的としています。罪業がなくなってはじめて救われ天国に戻ることができます。業を造ったなら返さなければなりません。これは天体宇宙の法理によって決められています。しかし、人間は迷いの中でまたこの世で罪業を造ったかもしれないため、当然返さなければなりません。今生返さなければ来世返すことになります。実は多くの人は非常に重い罪業を持っており、人間が救われるようにするため、創世主は人間の苦しみの一部を肩代わりしたのです。これは衆生に対する最大の慈悲と最大の愛なのです。業の積み重ねがある程度まで進んだら、生命は本当に消滅されてしまいます。罪業が滅され天に戻ることこそ、あなたがこの世に来た本当の目的なのです。どの人間もこの世に転生してきたとき、創世主に誓いを立てたのです。罪業を返す時はもちろん辛いのです。業力があるから、この世に争い、戦争、病、苦労、飢餓、貧困があり、それによって苦しんでいます。もちろん、大きい罪業もあれば小さい罪業もあり、その大きさの違いがあるため、人生に貧富の違いが生じたのです。人間は迷いの中で善良であり続ければ、業を造ることが少なく、苦を舐めることも少なくなるのです!

 すなわち、人間の「迷い」は衆生を救い、天体とあまたの宇宙を救うために造られたものです。この「迷い」にこれほど重要な理由がある以上、決して人間の人心に合わせて破られることはありません。世の中に多くの神仙がいますが、なぜ迷いを破りたいという人間の欲望を満たしてくれないのですか? このようにする度胸はないからです! これは創世主が天体と衆生を救うために切り拓いたものであり、これは衆生が救われる希望だからです!

 

師 李洪志
二〇二四年九月三十日

 

日本語翻訳は法輪大法明慧ネット日本語版より転載)